魚の目は泪 芭蕉と寿貞
芭蕉の通説ではなく、作品、書簡、資料、により芭蕉の実像を考
察してみました。処女作「貝おほい」の中の十番、自ら書いた判詞
に、「…二ほんずつミの無常の煙も……空なきそうな。おつねの顔…
」とあり、二本堤は吉原へ通う嫖客の通路であり、近くに焼場があ
り、煙が立上っている。これはこの実景を知らなくては、書けない。
「貝おほい」完成以前、芭蕉は江戸に居たことになる。
「閉閑の説」の前文は三人称で書かれているが「海女の子の浪の
枕に袖しほれて…」は 末文の「……みずから書し、みずから戒禁
となす。」に関連性があり、これは自身の反省文である。
一家に遊女も寝たり萩と月
は市振の句であるが、遊女との出会いと別れは、曾良日記に記載
してないことからして、虚構であるが、この句も「海女の子の…」の
文章に関連性がある。青年期の芭蕉の姿が背景にある。現代風に云え
ば同棲生活である。江戸両吟集に次の連句がある。
君ここに紅の二布の下紅葉 信章
契りし秋は産妻なりけり 桃青(芭蕉)
芭蕉の弟子野坡の話を弟子の風律が「浅談」として、記事にして
いる。「寿貞は翁の若き時の妾にて、とくに尼になりしなり。…」
この頃から四年間、小石川の水道工事関係の仕事に携わる。長女
まさ、次女おふうが生まれる。家庭の経済的負担が重圧感となる。
一時雨礫や降りて小石川
この仕事が終わると、芭蕉の風狂は本格的になり、家族と別居し
深川の芭蕉庵へ入る。寿貞は内縁関係のまま、ひっそりと江戸の片
隅で暮らすことになる。
髭風ヲ吹いて暮秋歎ズルハ誰ガ子ゾ
風狂と、冷たい秋風に晒されている幼い子供達、芭蕉の心は、そ
のはざまをさ迷う。
かれ朶に烏のとまりけり秋の暮
身動ぎもしない烏は、飛び立とうとするエネルギーを秘めている。
人生五十年とすれば、残された創作の旅の時間は、あと数年、
道のべの木槿は馬にくわれけり
芭蕉は命がけの旅で道端の儚い槿を見て、後ろ髪を引かれ立ち止
まる。突然馬がその槿(心情)を食べてしまい、旅を続けるのでる。
海くれて鴨の声ほのかに白し
月明かりの中、俳諧の道を極めるには僅かの時間しかない。これを
生き物の微かに見える息吹即ち「鴨のこえほのかに白し」と詠む。
「夜は草の枕を求め、昼のうち思ひもうけたるけしき、むすび捨
たる発句など、矢立取出て、燈の下にめをとじ、頭をたゝきてうめ
き伏せば…」更科紀行 この文から、芭蕉の作品は多くの推敲を
重ねて創られているのが解る。
冬の日や馬上に氷る影法師
冬の日差しの中、芭蕉は馬上の動く事ができない自分の陰の部分
を見つめている。家族と別れてきた負い目から逃れられないのだ。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯
を浮かべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日日旅にして旅を栖と
す。古人も多く旅に死せるあり。…」 芭蕉は死を賭けて創作の旅
をした。月の如く無限の道程である。
行く春や鳥鳴き魚の目は泪
出発の際、人々との別れの挨拶の最中、寿貞と子供達を思い人知れず泪を
ながす。この句は見たところは解らないが、心の中で家族を心配して流した芭蕉
の泪なのである。これがこの句の隠し味なのである。水中では魚の目の泪は
解らない。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
先入観念、既成観念、雑念等を取去り、心を静かな状態にすれば、
岩の如く頑なな心に自然は自ずから語りかけてくる。
「むかしより筆をもてあそぶ人の、おほくは花にふけりて実をそこ
なひ、みを好て風流を忘る。」 蓑虫説跋
芭蕉文学を理解するには、前句(閑さや…)前文(むかしより…)
の理解が不可欠である。
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天の川
この句は七夕に出雲崎にて詠む予定であったが四日に到着、しかも
雨模様であったために、越後路の詳細の記述は除かれ、句は心象風
景で表現されている。芭蕉は家族に会わず、その罪の意識を流人と
重ね合わせる。荒海、親知らず、子知らずはきびしい俳諧の道程であ
る。故に遊女(寿貞)との別離の場面を、ここに挿入したのである。
「曾良に語れば、書きとどめはべる。」とあるが曾良の随行日記に書
かれていないことからして、芭蕉の心情を記述した俳文なのである。
石山の石より白し秋の風
無心で物事に接する。透明な秋風の中、石山は最も白く見える。
「なお放下にして栖を去、腰にたゞ百銭をたくはへて、挂杖一
鉢に命を結ぶ、なし得たり、風情終に菰をかぶらんとは。」芭蕉は
名利のためではなく、俳諧の道を極めようとしている。
麦の穂を便につかむ別かな
長男次郎兵衛と最後の旅、五月麦の穂は実る頃である。見事
に実った穂を心の拠り所にして、見送りの人々との別れである。
人声や此道かへる秋のくれ
芭蕉は旅の途中、人声を聞き振返る。それは寿貞の声か子供達
の声か、儚い心情が行き交う。
「からびたるも、艶なるも、たくましきも、はかなげなるも、
…」元禄七年、素龍は「おくのほそ道」清書本の「跋」に、こ
れらが様々に繰り広げられて、感銘を受けたと記している。
この四つの事柄どれ一つ欠けても、芭蕉俳諧を味わうことはできない。
芭蕉の旅立ち後、芭蕉庵で寿貞没。猪兵衛宛書簡に「寿貞無仕
合せもの、まさ、おふう同じく不仕合せ、とかく申シ盡シ難キ候。…
何事も何事も夢まぼろしの世界一言理くつは之無ク候。」と、痛
恨の心情を送っている。
数ならぬ身となおもひそ玉祭
寿貞は世の片隅で小さくなって、ものの数にも入らない人間
(遊女、お妾さん)であると思って、生きたのであろう。「なお
もひそ」は優しくそれを打消している。玉祭りで詠んだ句は、芭
蕉を影で支えた生涯の妻に捧げた鎮魂歌である。
秋深き隣は何をする人ぞ
芭蕉は旅に病んで静かに身を横たえている。江戸に残してきた
まさ、おふうは今何をして、どんな思いでいるのであろう。走馬灯
の様に浮かんでくるのである。と同時に俳諧の夢は、枯野をかけ
廻っているのである。
火花散る此一筋や萩と月 冬至